2018年12月09日(日)

土門拳は紅白歌合戦の審査員もつとめていた!

今日はイサムノグチの彫刻「土門さん」も雪の帽子今日はイサムノグチの彫刻「土門さん」も雪の帽子

こんにちは、スタッフKです。今日は急に本格的に雪が積もってびっくりです。いよいよ年も押し迫ってきましたね2019年カレンダーのご用意は終わりましたか?土門拳カレンダー、まだ在庫ありますよ、どうぞお忘れなく。


最近は昔ほどではないにしても、「やっぱり大晦日はみかんにこたつで紅白でしょう」という方もまだまだ多いでしょう。先日当館のスタッフが土門拳について調べていたら、1961(昭和36年)年1231NHK紅白歌合戦の審査員に土門拳の名前が!いや~、びっくり、これは知らなかったな~。


土門拳は1959年の暮れに九州筑豊で「筑豊のこどもたち」を撮影しました。撮影後軽い脳出血で倒れ、病床で編集者と筆談で進め2か月で完成した定価100円写真集「筑豊のこどもたち」は601月に刊行され、学生層、労働者たちから日本中に広がり10万部を超すベストセラーとなりました。また同年11月、映画「筑豊のこどもたち」が封切られ、続編の「るみえちゃんはお父さんが死んだ」も出版。昭和36年には土門拳は日本中誰もが知る存在だったのでしょう。


この第12回紅白歌合戦の他の審査員は、仲代達矢、大鵬幸喜、勅使河原霞(草月家元)、森光子といった方々です。出場歌手はトップが朝丘雪路。雪村いずみ、村田英雄、こまどり姉妹、江利チエミ、フランク永井、美空ひばり、橋幸夫、森重久彌、ザ・ピーナッツ、淡谷のり子、坂本九、などの面々が続き、トリは島倉千代子と三波春夫。いやいや、ホント昭和ど真ん中だわ。(って、全部顔がわかる私のトシが皆さん想像できますね)


今から30年ほど前に、仲代達矢さんが数回土門拳記念館にいらしてくださったことがあります。ドキドキしながら握手していただきました。その時この紅白のことを知っていたら、当時のことを覚えていたか聞けたのにな~、残念。

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2018/12/09 16:05 | 土門拳あれこれ | コメント(0)

2018年06月01日(金)

「土門拳」の名が冠につく第3の賞とは?

今朝は小雨。公園のヤマボウシがしっとり濡れています今朝は小雨。公園のヤマボウシがしっとり濡れています

こんにちは、スタッフKです。

前回ブログで、当館記念室で開催した「第45回土門拳杯入賞作品展」のことをちらっと書きました。この写真展、当館では終わってしまったのですが、614日~19日に市総合文化センターでも展示予定です。さて、土門拳の名前の付く賞は、毎日新聞社主催の「土門拳賞」と、酒田市主催の「酒田市土門拳文化賞」があるのは、ちょっと詳しい方ならご存知と思います。しかし、「土門拳杯」については?うーん、もし「土門拳検定」なぞがあったら、高難度レベルになりそうなレア知識ですね。しかし、この「土門拳杯」、「土門拳賞」より「酒田市土門拳文化賞」よりずっと昔、土門拳記念館が開館するより9年も前からある賞で、実に45年もの歴史があるのです。

時は昭和491974)年、土門拳は酒田市名誉市民第一号となりました。その時にご自身の全作品を酒田に寄贈すると言ったことがきっかけで当館誕生に至るわけですが、同時に酒田の写真芸術向上のためにと、土門先生自ら「土門拳杯」カップを、全酒田写真連盟に寄贈されました。先生がお元気なうちは、5月の酒田山王祭の夜、会員の目の前で自ら写真の審査講評を行い、受賞者には先生直筆の色紙が贈られたそうです。そして、今でもそのカップは大事に受け継がれ、コンテストも毎年実施され(現在の審査は弟子である藤森武先生)、今年は初めて上位作品を当館で展示しました。土門先生の、故郷酒田への、またアマチュア写真家への愛情が、今もこうして連綿と続いています。


2018/06/01 09:26 | 土門拳あれこれ | コメント(0)

2018年04月10日(火)

入学式シーズン、土門拳の母校は?

「土門拳の昭和」(クレヴィス刊)年譜ページの土門拳「土門拳の昭和」(クレヴィス刊)年譜ページの土門拳

こんにちは、スタッフKです。今日は410日。全国どこの学校でも、新入生が緊張しつつピカピカの生活を始めていることでしょう。さて、土門拳は…?

阿部博行著『土門拳生涯とその時代』など、書かれた本や年譜から、子供時代を追ってみました。


土門拳は、生まれは酒田ですが、小学校に入る前に東京へ引っ越し、7歳の大正6年(1917)年春、麻布区の飯倉尋常小学校に入学しました。その後、横浜に引っ越し、尋常磯子小学校、尋常二谷小学校へと転校して、大正123月に卒業しました。チャンバラが大好きな腕白少年。成績がよく、負けず嫌いで、特に絵や習字が大得意。親孝行で本が好き。いつも級長か副級長で卒業式には答辞を読んだそうです。

その後進学したのは神奈川県立横浜第二中学校。現在の神奈川県立横浜翠嵐高校です。ここにはとても書ききれないのですが、青年期の土門という人物も、学校も、教師や友人も、それはとても魅力的。もちろん苦労も並大抵ではなかったようですが、この学校生活があったからこその、その後の土門拳なのでしょう。

土門は卒業後50年たった昭和52年(1977)に母校を訪れ、感謝をこめて大型欅額装の自分の作品2点を寄贈しています。昨年、翠嵐会(翠嵐高校同窓会)会長の江成さんが当館にいらしてくださり、学校に土門拳作品が展示されている写真をいただきました。翠嵐会のHPにも土門拳が紹介されています。作曲家の高木東六さんや脚本家の大森美香さんも同校出身なのですね。

たまに「横浜から来ましたが、私は土門拳さんと同じ翠嵐の出身です。学校で作品を見た覚えがあります。」と声をかけてくださるご来館者がいます。酒田と横浜、ご縁は今も繋がっています。


2018/04/10 16:15 | 土門拳あれこれ | コメント(0)

2018年03月11日(日)

明日3月12日は何の日でしょう?

こんにちは、スタッフKです。あっという間に3月。今日は11日。忘れられない、そして決して忘れてはいけない日として、改めて心に刻みます。

さて、それでは明日3月12日は何の日でしょう。土門拳にとても関係のある日です。東大寺お水取りの日と答えた方、惜しい!もちろん土門拳も「東大寺お水取り」を取材しています(特に1967年)。が、私が今日お伝えしたい312日は今から40年前の昭和53年(1978)「土門拳が生涯ただ一度の雪の室生寺を撮った日」です。

室生寺(奈良県宇陀市)は、土門拳が一番愛したお寺と言われています。土門は昭和14年に初めて行って以来40年間、四季折々何十回も訪れていますが、雪の室生寺だけには一度も出会うことがありませんでした。どうしても雪の室生寺を撮りたかった土門は、昭和53219日から奈良の病院に頼んで、入院という形で待機しつつ、今か今かと雪を待ち、39日には、病院から定宿にしていた室生村の橋本屋旅館に移りました。それでも雪は降りません。その日も次の日も…。東大寺お水取りの最後の日には必ず寒がぶり返すと言われているのをひたすら信じて待って。

そして、いよいよ、312日。朝早く、宿の女将の初代さんが寝間着姿のまま部屋に飛び込んできました。「先生、雪が…、早く起きてください」と。二人は「とうとう降りましたね」と互いに手を取り合ってうれし泣きしたそうです。そして、68歳の土門拳は40年待ち続けた雪の室生寺を、ついにその目で見て、そして撮ったのです。

今回の展示「歳時記」の中でも雪の室生寺を展示しています(415日まで)。ぜひ、本物の大型プリントの前で、土門拳の雪の室生寺にかけた思いを味わってください。


「雪の室生寺鎧坂金堂見上げ」展示中「雪の室生寺鎧坂金堂見上げ」展示中

2018/03/11 15:05 | 土門拳あれこれ | コメント(1)

2017年10月25日(水)

108年前の今日、土門拳が酒田で誕生しました。ハッピーバースデー♥

土門拳が生まれた旧鷹町にある神社土門拳が生まれた旧鷹町にある神社こんにちは、スタッフKです。


今日は土門拳の誕生日です。 土門拳は、旧酒田町鷹町15番地の母親の実家で、明治42年(1909年)10月25日の夜11時半頃、父熊造・母とみの長男として生まれました。 

現在の酒田市には鷹町という町名はありません。さて、旧鷹町って、どのへんなんだっけと、先日カメラを持って散歩に出かけました。 

現在の相生町1丁目、あいおい美術館さんの前を通って、左に曲がると、とんかつ わたりさんの近くに、鷹町稲荷神社があります。15番地がどこかまでは、はっきりと調べていませんが、この神社の近所だったに違いありません。銀杏の大木があるこの神社に、生まれたばかりの拳ちゃんを抱っこして、お母さんのとみさんが、健やかに育てとお参りしたかもしれませんね。きっと銀杏が黄色に染まりはじめる季節だったでしょう。 

さて、ついでに足を延ばして、一番町のござのやたろう(阿部弥太郎商店)さんの前にある、「写真家土門拳ゆかりの地」の標柱も写真に撮ってきました。ここは、旧下内町で土門家が代々染物業を営んでいた場所です。土門拳の父熊造はもともと呉服屋の糸谷家に生まれたのですが、近所の土門家に養子に入りました。 
土門家の祖先与三郎が天保時代に染めた絵幕(塞道幕)は、今でも酒田の文化財として大切に保存されています。私も見たことがありますが、まあ、昔の酒田の活気が伝わる立派な美しい幕でびっくり。与三郎さんと拳さんとは血縁は無いわけですが、その家が持つ美的な感覚は受け継がれたのでしょうか。 
土門拳は幼少時代、旧台町(現日吉町)に住んでいたそうですが、そことは別に、この旧下内町に住んでいた時もある、という話もあります。親戚のところに身を寄せるようなこともあったのかもしれません。  

土門拳は小学校入学前に東京へ引っ越したので、酒田で暮らしたのはほんの6年という短い期間です。生家も残ってはおらず、親戚も遠い方しかいらっしゃらないようですが、土門の祖父糸谷六郎兵衛の子孫の糸谷聰様は現在も酒田郷土史研究会の重鎮としてご活躍されています。今度、糸谷様に詳しくお話を伺うことになっているので、楽しみにしているところです。 
108年前の今日が誕生日。その頃の酒田と幼い土門拳に思いを馳せて…。

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2017/10/25 08:57 | 土門拳あれこれ | コメント(0)


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