義経千本桜 道行初音旅(1941)

昭和16〜18(1941〜1943)年にかけて、太平洋戦争が激しさを増す中、土門は憑かれたように、文楽の撮影に打ち込みました。
当時、国民生活が次第に窮乏する状況下にありながら、文楽芸術は浄瑠璃には豊竹古靫太夫(とよたけ こうつぼだゆう)、三味線の鶴沢清六、人形遣いの吉田文五郎、吉田栄三、桐竹紋十郎といった名人がそろった、まさに黄金時代でした。その後まもなく、昭和20年の空襲で大阪の四ツ橋にあった文楽座の本拠地は焼け落ち、多くの人形や衣装が消失しました。
戦局が激しくなった昭和19年暮れ、重い組立カメラで撮った、六千点あまりのガラス乾板を、土門は自宅床下に掘った防空壕に埋めて、戦火から守りました。
その実在感ある貴重な記録は、撮影後約30年を経た昭和47(1972)年、一冊の写真集『文楽』として刊行され、はじめて世に出たのです。

静御前(1941)

吉田文五郎の左手(1941)


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