年譜

  • 明治42年(1909)・・・・・・・・・・・・0歳
    10月25日、山形県飽海郡酒田町(現・酒田市相生町)に父熊造、母とみの長男として生まれる。幼少時代に父が北海道に働きに出、母は看護婦となり、祖父母のもとで育つ。
  • 大正5年(1916)・・・・・・・・・・・・・・7歳
    東京へ一家で移り住む。
  • 大正6年(1917)・・・・・・・・・・・・・・8歳
    麻布区立飯倉小学校へ入学。
  • 大正7年(1918)・・・・・・・・・・・・・・9歳
    秋、横浜市磯子区に移転、磯子小学校に編入。
  • 大正10年(1921)・・・・・・・・・・・12歳
    横浜市神奈川区に移転、二ツ谷小学校に編入。
  • 大正12年(1923)・・・・・・・・・・・14歳
    神奈川県立横浜第二中学校(現・翠嵐高校)に入学。画家を志望する。
  • 大正13年(1924)・・・・・・・・・・・15歳
    家の経済上の理由で退学を決意するが、成績優秀のため授業料免除の特典を受ける。
  • 昭和3年(1928)・・・・・・・・・・・・・19歳
    神奈川県立横浜第二中学校卒業。
    逓信省芝浦倉庫の日雇いとなる(一年余)
  • 昭和4年(1929)・・・・・・・・・・・・・20歳
    三味線に熱中し、常磐津の師匠の内弟子となる(約半年間)
  • 昭和5年(1930)・・・・・・・・・・・・・21歳
    横浜の弁護士田崎文蔵の住み込み書生となり(約二年半)、日大専門部法科夜間部に籍を置く。ほとんど出席せず、のち除籍される。
  • 昭和7年(1932)・・・・・・・・・・・・・23歳
    全農全国会議の農民運動に参加し、検挙、拘束される。
  • 昭和8年(1933)・・・・・・・・・・・・・24歳
    母の勧めで、上野池の端の宮内幸太郎写真場の内弟子となる。夜間、本を読み、写真の歴史と基礎理論を独学、報道写真家を志す。
  • 昭和10年(1935)・・・・・・・・・・・26歳
    10月、名取洋之助主宰の日本工房に採用され、宮内写真場を逃げ出す。11月、日本工房の社員となり、対外宣伝雑誌「NIPPON」を中心に、日本の海外紹介パンフレットの写真を撮影する。
  • 昭和11年(1936)・・・・・・・・・・・27歳
    「NIPPON」のため、伊豆半島を取材。
    武田麟太郎らの「人民文庫」にカメラマンとして協力。この年撮影した武田の写真が『風貌』の最初の作品となる。
  • 昭和13年(1938)・・・・・・・・・・・29歳
    赤十字病院の看護婦養成所を取材。
    宇垣一成外相のルポ写真がアメリカの「ライフ」9月5日号に署名入りで掲載される。
    青年報道写真研究会を田村茂、藤本四八、加藤恭平らと結成。
    このころより織物研究家田中俊雄と親交、その影響により、職人の仕事・技を撮影する。
  • 昭和14年(1939)・・・・・・・・・・・30歳
    日本工房を退社、外務省の外郭団体国際文化振興会の嘱託となる。
    11月、中村たみと結婚。新婚旅行を兼ね、宮崎を取材。
    年末、美術史家水澤澄夫の案内で初めて室生寺を訪れる。以後数え切れないほど通い、ライフワークとなる。
  • 昭和15年(1940)・・・・・・・・・・・31歳
    前年末から約2週間、日本民芸協会主催「琉球観光団」(団長柳宗悦)に加わり、沖縄各地を取材。
    鉄道省国際観光局の映画撮影に便乗、中宮寺観音菩薩、広隆寺弥勒菩薩などを撮影。以後昭和18年ごろまで全国の仏像撮影を続ける。
    日本報道写真家協会を結成、紀元2600年奉祝撮影隊を編成。
  • 昭和16年(1941)・・・・・・・・・・・32歳
    7月、東京・新橋演舞場にて文楽の撮影を開始。以後昭和18年7月までに約7千枚撮影、文楽の黄金時代を記録。
    8月、梅原龍三郎を撮影。撮影をねばり、梅原を怒らせる。
  • 昭和17年(1942)・・・・・・・・・・・33歳
    「写真文化」11月号にアートグラビア16ページで「土門拳選集」を掲載。
  • 昭和18年(1943)・・・・・・・・・・・34歳
    「人物写真集」「土門拳選集」の作品により第1回アルス写真文化賞受賞。
    「対外宣伝雑誌論」を「日本評論」9月号に発表、宣伝グラフ誌を批判し、客観的真実に立脚した報道を提唱。雑誌は発禁処分になり、国際文化振興会を辞す。
  • 昭和20年(1945)・・・・・・・・・・・36歳
    敗戦にてフリーランスとなり、占領軍の兵隊相手のDPで糊口をしのぐ。
  • 昭和21年(1946)・・・・・・・・・・・37歳
    秋、戦後初めて室生寺を訪ね、変わらぬ寺に感動し、以後、京都、奈良の古寺巡礼を再開する。
  • 昭和22年(1947)・・・・・・・・・・・38歳
    『弘仁彫像』を文・水澤澄夫にて、季刊「制作」(日本美術出版社)三号として刊行。
  • 昭和23年(1948)・・・・・・・・・・・39歳
    このころより『風貌』の出版を企画し、撮りたい人物の名前を自宅二階の襖に墨書する。
  • 昭和25年(1950)・・・・・・・・・・・41歳
    アルス「カメラ」の月例写真審査員になり、アマチュア写真の指導を始める(断続的に昭和30年まで)。選評の中で「カメラとモチーフの直結」「実相観入」「絶対非演出の絶対スナップ」などをうたい、リアリズム写真を提唱。ブームと論議を巻き起こす。
    この年、勅使河原蒼風と出会い彼を撮影。以後、交友が続き、その作品を多く撮影する。亀倉雄策とともに三兄弟といわれる。
    初めてカラーフィルム(富士カラー、キャビネシートフィルムASA10)を使用、唐招提寺如来形立像、鑑真和上像を撮影。
    三木淳、大竹省二らと「集団フォト」を結成。木村伊兵衛とともに顧問となる。
  • 昭和27年(1952)・・・・・・・・・・・43歳
    木村伊兵衛と「カメラ」月例写真審査員を担当、合評連載(昭和30年まで)。リアリズム写真論に拍車をかける。
    写真集『日本の彫刻—平安時代』『日本の彫刻—飛鳥時代』(美術出版社)
  • 昭和28年(1953)・・・・・・・・・・・44歳
    「江東のこども」を撮り始める(昭和30年まで)
    写真集『風貌』(アルス)
  • 昭和29年(1954)・・・・・・・・・・・45歳
    9月、講演会「リアリズム写真の進むべき道」で「第一期リアリズム写真は1954年春に終わった」と宣言する。
    写真集『室生寺』(美術出版社)
  • 昭和30年(1955)・・・・・・・・・・・46歳
    東京の街をテーマに第一回個展(東京日本橋・高島屋)開催。
    写真集『室生寺』により第九回毎日出版文化賞受賞。
    日本写真協会功労賞受賞。
  • 昭和31年(1956)・・・・・・・・・・・47歳
    「フォトアート」の月例写真審査員を担当(断続的に昭和38年まで)
  • 昭和32年(1957)・・・・・・・・・・・48歳
    7月、初めて広島へ行き、原爆の被害者の実態を目にする。以後報道写真家としての使命感にかられ、広島に通いつめる(翌年まで)
  • 昭和33年(1958)・・・・・・・・・・・49歳
    写真集『ヒロシマ』(研光社)刊行、大きな反響を呼ぶ。
    写真集『ヒロシマ』により第四回毎日写真賞、第二回日本写真批評家協会作家賞受賞。
    写真集『現代日本写真全集—土門拳』(東京創元社)
  • 昭和34年(1959)・・・・・・・・・・・50歳
    「古寺巡礼」を「カメラ毎日」に一年間連載。
    12月、閉山した北九州筑豊の炭田地帯を取材、炭鉱労働者の生活を記録。
    帰京後、過労のため、軽い発作で倒れて自宅静養する。
    写真集『日本の寺—中尊寺』『日本の寺—西芳寺・龍安寺』(美術出版社)
  • 昭和35年(1960)・・・・・・・・・・・51歳
    1月、ザラ紙の写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店)を定価100円で刊行。10万部を売る。
    2月、脳出血のため東京警察病院に入院。4月、退院。
    7月、右半身にマヒが残る身で三池闘争を取材。
    第10回芸術選奨を「日本風土記」「古寺巡礼」「民族の美」で受賞。
    第10回日本写真協会年度賞受賞。
    写真集『ヒロシマ』により東ベルリンの国際報道写真展で金賞受賞。
    写真集『筑豊のこどもたち』により第三回日本ジャーナリスト会議賞受賞。
    カラー写真による「古寺巡礼」を本格的に開始する。
    9月、筑豊を再訪、田川児童相談所を取材。
    個展「筑豊のこどもたち」(東京銀座・富士フォトサロン)
    写真集『るみえちゃんはお父さんが死んだ』(研光社)
  • 昭和36年(1961)・・・・・・・・・・・52歳
    写真集『筑豊のこどもたち』『るみえちゃんはお父さんが死んだ』により第二回毎日芸術賞受賞。
    写真集『日本の寺—法隆寺』『日本の寺—室生寺』(美術出版社)
    写真集『Hiroshima Nagasaki Document』(東松照明共著、原水爆禁止日本協議会)
  • 昭和37年(1962)・・・・・・・・・・・53歳
    やきものに開眼、古陶磁の取材を精力的に始める。
    「永保寺開山堂」によりカメラ芸術大賞を受賞。
    写真集『日本のやしろ—春日』(美術出版社)
  • 昭和38年(1963)・・・・・・・・・・・54歳
    豪華写真集『古寺巡礼』第一集(美術出版社 昭和50年第5集で完結)
  • 昭和39年(1964)・・・・・・・・・・・55歳
    写真集『日本のやしろ—厳島』(美術出版社)
  • 昭和40年(1965)・・・・・・・・・・・56歳
    写真集『信楽大壺』(東京中日新聞社)
    写真集『古寺巡礼』第二集(美術出版社)
    写真集『大師のみてら—東寺』(美術出版社)
  • 昭和41年(1966)・・・・・・・・・・・57歳
    写真集『日本人の原像』(平凡社 文・芹沢長介、坪井清足)
  • 昭和43年(1968)・・・・・・・・・・・59歳
    5月、10年ぶりに広島を訪れ、被爆者を再び取材。
    個展「憎悪と失意の日日—ヒロシマはつづいてる」(東京・銀座ニコンサロン)
    6月、山口県萩市で取材中、脳出血で倒れ、九州大学付属病院に入院。
    写真集『古寺巡礼』第三集(美術出版社)
  • 昭和44年(1969)・・・・・・・・・・・60歳
    6月、長野県鹿教湯温泉の療養所に移り、再起のためリハビリに励む。11月退院。以後車椅子で撮影する。
  • 昭和46年(1971)・・・・・・・・・・・62歳
    『古寺巡礼』により第19回菊池寛賞受賞。
    個展「仏像遍歴」(東京・新宿ニコンサロン)
    写真集『薬師寺』(毎日新聞社)
    写真集『古寺巡礼』第四集(美術出版社)
    写真集『荻原守衛』(筑摩書房)
  • 昭和47年(1972)・・・・・・・・・・・63歳
    「ヒロシマ」がニューヨーク近代美術館パーマネントコレクションに収められる。
    個展「古寺巡礼」(東京新宿・小田急百貨店)
    写真集『文楽』(駸々堂出版)
  • 昭和48年(1973)・・・・・・・・・・・64歳
    紫綬褒章受章。
    個展「文楽」(東京銀座・和光)
    写真集『東大寺』(平凡社)
  • 昭和49年(1974)・・・・・・・・・・・65歳
    『古寺巡礼』第五集のため、車椅子で撮影を始める。
    郷里山形県酒田市名誉市民第一号となる。
    エッセイ集『死ぬことと生きること』『続死ぬことと生きること』(築地書館)
    写真集『日本名匠伝』(駸々堂出版)
    写真集『古窯遍歴』(矢来書院)
  • 昭和50年(1975)・・・・・・・・・・・66歳
    個展「室生寺」(東京新宿・小田急百貨店)
    写真集『私の美学』(駸々堂出版)
    写真集『古寺巡礼』第五集(美術出版社)
  • 昭和51年(1976)・・・・・・・・・・・67歳
    室生寺をカラーで再び撮影開始(昭和53年まで)
    エッセイ集『写真作法』(ダヴィッド社)
    写真集『こどもたち』(ニッコールクラブ)
    写真集『風景』(矢来書院)
  • 昭和52年(1977)・・・・・・・・・・・68歳
    エッセイ集『三人三様』(勅使河原蒼風、亀倉雄策共著 講談社)
    写真集『土門拳自選作品集』全三巻(世界文化社)
  • 昭和53年(1978)・・・・・・・・・・・69歳
    3月、一ヶ月近く奈良の病院で待機し、昭和14年以来、40年目にして初めての雪の室生寺を撮影。
    エッセイ集『写真批評』(ダヴィッド社)
    写真集『日本の美』(伊藤ハム栄養食品)
    写真集『生きているヒロシマ』(築地書館)
    写真集『女人高野室生寺』(美術出版社)
  • 昭和54年(1979)・・・・・・・・・・・70歳
    昭和53年度朝日賞、第13回仏教伝道文化賞受賞。
    9月、脳血栓で倒れ、東京・虎ノ門病院に入院。以後、意識不明の状態が続く。
    個展「現代彫刻写真展」(東京銀座・三越)
    エッセイ集『写真随筆』(ダヴィッド社)
    写真集『現代彫刻』(サンケイ出版)
    写真集『日本の彫刻I—飛鳥・奈良』(美術出版社)
  • 昭和55年(1980)・・・・・・・・・・・71歳
    山形県酒田市に土門拳記念館の設立が決まる。
    勲四等旭日小綬章受章。
    写真集『日本の美—艶』(集英社)
    写真集『日本の彫刻II—平安前期』『日本の彫刻III—平安後期・鎌倉』(美術出版社)
  • 昭和56年(1981)・・・・・・・・・・・72歳
    写真集『日本の古陶磁』(美術出版社)
    写真集『昭和写真・全仕事—土門拳』(朝日新聞社)
    毎日新聞社が土門拳賞を制定。
  • 昭和58年(1983)・・・・・・・・・・・74歳
    10月、酒田市に土門拳記念館開館。
    個展「土門拳全写真展」(東京池袋・西武百貨店)
    『土門拳全集』(小学館)全13巻刊行開始(昭和60年完結)
    写真・エッセイ集『手—ぼくと酒田』(土門拳記念館)
  • 昭和62年(1987)・・・・・・・・・・・78歳
    個展「土門拳の全貌」展(横浜・そごう)
  • 平成元年(1989)・・・・・・・・・・・・・80歳
    写真集『土門拳の古寺巡礼』(小学館)全7巻刊行開始(平成2年完結)
  • 平成2年(1990)
    9月15日、入院先の虎ノ門病院で心不全のため死去。

没後も全国での写真展や、写真集及び随筆集等の出版がとぎれることなく続いている。


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