没後50年 藤田嗣治 日本での日々

企画展示室Ⅱ
4月19日(木)~7月17日(火)  モノクロ 23点

 パリの寵児として名を馳せた藤田嗣治(1886-1968)は1933年に帰国。一方、日本工房退社後、「国際文化振興会」の嘱託となっていた土門は、1941年、美術雑誌の仕事で藤田のアトリエを訪れました。秘密主義の画家としても有名であった藤田は土門には撮影を許し、自然な姿を見せています。土門は藤田の制作の様子に迫り、その制作手順は『画論』上で紹介されることとなりました。この時は藤田の代名詞である乳白色の秘密は解明できなかったものの、後に大きな発見をもたらす一枚を撮影することとなったのです。

藤田嗣治「1941年」 土門拳

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